バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

【読書感想文】沼田真佑 著『影裏』を読んでみて

こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、イシイド マキです。

 

少し前になりますが、第157回芥川賞受賞 沼田真佑著『影裏』を読んでみました。
今回はその際感じたことを、イシイド目線で
まとめてみようと思います。

 

 

芥川賞受賞作品『影裏』

 

実はなんちゃら賞受賞作品なんて読んだこともございませんでした。


きっかけは読書家としても有名なりと(id:rito-jh)さま、そして高性能面白いものアンテナをお持ちのうえの(id:uenoyou)さまの書評を拝読しまして、

 

rito.gameha.com

 

www.uenoyou.net

 

うん、お二人とも紹介がお上手。
お二人の、読み手の好奇心を掻き立てる話術にすっかりはまってしまったからでした。

 

 

あらすじ

 

岩手県に配属された孤独な主人公、『今野』(初掲載は『内藤』だったようです)。
同じ会社の『日浅』と趣味の釣りがきっかけで親しくなるが『日浅』は突然姿を消してしまう。
再び孤独な日々に戻った『今野』の前に『日浅』は冠婚葬祭の互助会勧誘の営業マンとして現れるが、些細な口論をきっかけにまた『日浅』は姿を消してしまう。
ところが『日浅』は東北大震災に巻き込まれたらしいという知らせを聞き、『今野』は『日浅』の消息を求め、そして『日浅』の過去を知ることとなるが…

 

さて、とても短いお話でもあるこの『影裏』という作品。
イシイドはイマドキの作家さんの作品だな、と思いました。
『きわめて映像的であるけれど、絶対に映像化してはいけない作品』だと。

 

 

映像的であるということ

 

この作品を表面的に難しく見せているのは(内容も難しくはあるのだけど)、難読漢字の多用と場面展開の唐突さがあげられます。
これは他の方々もおっしゃっているので、大抵の方が感じることなのではないでしょうか。
ただね、この作品が映像作品だったらこの部分がすごく生きてくるんですよ。

 

 

難読漢字でラベリング

 

冒頭、釣り場へ向かう途中の自然描写のシーン。
生き生きと色鮮やかに岩手の自然が描写されていきます。
そこに突然『水楢』『沢胡桃』『橡』などの武骨な漢字の羅列に読者は戦くわけです。

でも、この漢字が読めなくても問題ないんです。


木偏が使われている時点で『木』の話をしているのだということはわかりますよね?
そして『水楢』と『橡』は別の木であることも。
『木』と『木』であれば、同じ種類の木が生えた人工的な森に見えますが、『水楢』と『橡』であれば様々な木々が生える自然の雑木林に見えてきませんか?
もちろん『水楢』がどういった木で『橡』はこんな木、という知識があればより楽しめます。
だけど単純に『この木とこの木は違う木』ということがわかるだけでも、ずいぶんと違った景色に見えてくるはずです。

この作品では難しい漢字の言葉はほとんど『モノの名前』であって、『難しいことば』を意味していることはあまりなかったように思います。
それぞれに名前をつけて、それぞれを区別しているだけなのです。

 

 

跳ぶ場面

 

二つ目、次々と展開する場面に翻弄されるかもしれません。
イシイドはわりと普段から話題が跳ぶ文章を書くのであまり違和感を感じなかったのですが、みんなは読みにくいってことだよね。
反省します。


でもね、これも映像作品にはよくある話。

釣りの場面から『日浅』が自宅に訪ねてきたシーン。
確かにいきなり時間も空間も飛び越えちゃってる印象ですが、もし映画だったりしたら当たり前のことです。
冬から夏になれば当然、登場人物の服装も変わりますから、説明なんてなくても一目でわかります。
しかも回想シーンなんて、もっと分かりやすくモノトーンやセピアカラーにすればいい。


でも、一目じゃわかんないんですよね、文章ですから。
だから、小説をそのままなぞって映像で再現するととても分かりやすくなります。

風景の描写はまるでカメラで追っているかのように、遠景から細部に向かっていく表現であったり、想像ではあるけれど『日浅』が被災する場面など、実写化したらとても美しく派手なシーンになるでしょう。
これは映像作品を見て育ってきた(であろう)若い世代の作家さんにみられる場面展開、表現のように思います。

そういった訳で映像化に向いた作品だと思いました。

 

 

映像化できない理由

 

だけど、一方で映像化できない、しちゃいけない理由もあります。

この小説の特徴なのですが、登場人物の情報が必要最低限といいますか、すごく少ないのです。
ですから登場人物の人物像がはっきりしません。


中でも、物語の中盤で登場する『福島 和哉』
この人物の登場人物で読者たちは一気に混乱に陥れられます。
なにせ、この『福島 和哉』、『今野』の元恋人で今は性別適合手術を受けたのだというのです。

 

え?え?どゆこと?

『今野』は同性愛者ってこと?

 

淡々と進んできた物語の中で、突然センセーショナルなネタをぶっこんできます。
『今野』を同性愛者とすると、こちらの記事でとても納得のいく説明をしてくれています。
『影裏』読了の方はぜひ読んでみて。

 

ゲイが読むと分かりやすくて切なさ倍増 芥川賞受賞作「影裏」 | Letibee Life

 

でもね、イシイドはそう思わなかったんです。

確かに冒頭の水楢の件なんかは微妙な生々しさを含んではいましたけどもね。
『福島 和哉』は当時から女性の姿で女性として生活していたのではないでしょうか。
結婚の話が出て、戸籍上結婚できないことがわかったので転勤を理由に別れを選んだ。
性別適合手術を受け(戸籍も変更されているなら)結婚の対象となりうる存在になった彼女を、いまだに『和哉』と呼ぶのは暗に拒絶の意を含ませているのではないかと思うのです。


消息不明後に『日浅』を探したのは愛情からではないのか、という疑問も浮かびます。
ですが、独居老人である『鈴村』さんの登場から、孤独から逃れるためのあがきであって、『日浅』に対する恋愛感情ではない。
少なくとも『今野』にとっては恋愛感情は自覚していないと感じました。

 

同性愛者の『今野』と同性愛者を嫌悪する『今野』


これで全く異なる『今野』像ができました。

作者としては一応の『正解』はお持ちだと思うのですがそこは明かされていません。
明かさないからこそ、読者が自由な解釈で物語を楽しむことができる。
逆に小説以外の作品を作ってしまうと、それが『正解』になってしまって、自由な発想の翼を折ってしまうことになる。
だからこの『分かりにくさ』が作者の意図するものであるならば、小説以外の楽しみ方はできない作品となるのです。

 

 

目に見える事実と隠される真実と

 

さてこの作品では、私たちの想像の翼で読み解かなければならない部分がたくさん残されています。


『今野』の『日浅』への想い、『日浅』は『今野』のことをどう見ていたのか、『日浅』と『西山さん』との関係は?『日浅』の父親の本当の想いは…?

 

肝心なところが描かれていない不満は出るかもしれません。
だけど、現実ではあたりまえのことですよね?

 

人間は自分にとって都合の悪いこと、他人に知られたくないことは知られないように隠してしまう生き物です。
小説では様々な事情や感情は審らかにされるものですが、登場人物たちもこの不都合な真実を読者にさえ明かさないまま物語を閉じてしまいました。
現実でも、真実は明かされないことの方が多いのです。
この本を閉じるとき、私たちの手元には現実の友人が姿を消したような謎が残されるのです。

 

第157回芥川賞受賞作品『影裏』
まるで、サイレントムービーを観るような作品です。

 

興味を持たれた方はぜひ、読んでみていただけたらなたと思います。