バリキャリ乙女のイド端会議室

主に婚活、時々しごと。華麗なるバリキャリの脳内会議の一部始終。

もう死ぬのだと思っていた

こんばんは、年間300日スーツで過ごす女、乙女イシイドです。

 

先日ワタクシ、こんなツイートをいたしました。

 

 

『あと一年の命だと知ったら、それでも婚活を続けますか?』


という問いが含まれたコラムに対して。
このコラムには、実際に婚活をしている身としては異議申し立てしたいことがいっぱいあります。

だけど、それはちょっと置いといて。

 

こういう他人の記事をどうこういうようなツイートはよく見かけますが、正直見ていて嫌なものです。
よもや自分がするとは思わなかった (^_^;)
しかもプロのライターさんを相手に。
みっともないことをしたなと反省してます。
フォロワーさんも少ないので、このまま黙っていれば静かにスルーされて消えていくものなのですが、あえてこの時のキモチを記しておこうと思います。

 

からだの痛みに死を覚悟した

 少し前から首の右側が痛むようになりました。
リンパの辺り。
激痛というほどでもなく、鈍痛でもなく。
でも寝ちがいとも違う、今までに感じたことのない気持ちの悪い痛み。
たかが、と思うかもしれないけれどイシイドには恐怖を感じる理由があったのです。

 

首の痛みが恐ろしいわけ

 10年ほど前、先輩の一人が首が痛いと言い出しました。
その時はみんなも大袈裟だと笑いました。
病院にかかっても悪いところはないと言われ、セカンドオピニオンでも問題なし。
それでも食い下がらずに検査をしたところ、リンパの癌であることがわかりました。
当時30代も半ば。
二人の子供さんのパパです。
これまで自分も身近な人間も大きな病気を経験したことはなく、しかも癌なんて。

 

幸い、1年ほどの闘病で仕事に復帰。
あれから再発もなく、今では頼もしい上司になりました。
それでも私の中では『首の痛み』と『癌』という病気はイコールで結ばれており、相当しつこく調べなければ見つけられないもの、という認識でいるのです。

 

広がる痛み

 首の痛みが気になるようになってからしばらくして。
今度は右の肘から下が痛むようになりました。
時々てのひらも。

 

イシイドは不調が右側に出ることが多い。
春先にヘルニアになったときも右側が痛く、レントゲンでは背骨が右に曲がっていると言われました。
乳がん検診で引っかかったのも右側だったし、顔も右の方がシミが多い。
多分、右から攻撃されたらイチコロだ。
イシイドの弱点は間違いなく右側です。

 

そしてついに怖れていたことが。
お風呂に入るとき、右胸にも違和感を感じたのです。

 

あれ、こんな形だったっけ?

 

腕を上げたり下げたり。

 

ああ、ついにきたか。

 

首も腕もコレのせいなのだろうか。
病院はどうしよう。
婦人科か?
手術するときは外科らしい。
はじめから外科に行くか、総合病院の方がいいのかな。
大きい病院だと、予約がなくても診てもらえるだろうか?

そんなことを考えながら数日を過ごした。

 

バリキャリの教祖、川崎貴子氏は『我がおっぱいに未練なし』と言ったが、イシイドは未練がある。
まだ嫁入り前なのだ。
もう若いといえる年でもないけれど、命あってのものだとわかっちゃいるけれど。
でも、それを失ってまで生きながらえようとは思えなかった。
それくらい、イシイドの考えは幼く、そして本気で守りたいと思うものがまだないということなのだろう。

 

神の手

 次の休みの日。
大幅に寝過ごしてしまった。
病院に行くつもりだったのだけど、起きたのが昼前でもう間に合わない。
仕方ない。
久しぶりに足つぼでも行こうか。
あわよくば悪いところが見つかったりするかもしれない。

 

「どのあたりがお疲れですか?」

 

「首が特に…」

 

「では、首を中心にほぐしていますね」

 

そしてセラピストさんは執拗に盆の窪を攻め立てる。

 

気持ちいーーーーぃっ!

 

「イシイドさん!今めっちゃ流れていましたよ!
最近多いんですよね、スマホって」

 

 

 

スマホ…首だと……?

 

 

スマホ首。
スマートフォンやパソコンの使いすぎで背骨の自然なS字が失われ、首や腕の痛みやしびれを引き起こす現代病。

 

頭が、軽いっ
首が、回るっ

 

「しっかりほぐしておきましたから(にっこり)」

 

ああ、神が、仏がここにおわす。

 

合掌。

 

え?
おっぱいはどうなったって?
うん、単に重力に負けただけみたい。

 

死を覚悟して思ったこと

 というわけでございまして。
今回の件は自業自得というか、完全にイシイドの取り越し苦労のひとり相撲であったわけですが (^_^;)

 

病気かもしれない、と思ったときにやっぱり『彼』のことを考えました。
このときには、もうおつきあいが始まっていたので。
病気を理由におつきあいをお断りされることは怖くなかったのです。
病気に対してそれなりの備えはしているつもりですが、お相手にかかる時間や精神的な負担というものはかなりのものだと思います。
ですから、病気が理由であっても誰も責めることはできないと思うのです。

 

「病気になりました」

 

「え?マジで?ないわー」

 

といなくなってくれるような人ならむしろ良かったのかもしれません。
やさしい『彼』のことだから。
本気で悲しませることになるだろうし、へたをしたら最後まで付き合うと言い出すかもしれません。

 

そうしたら、私は自分から身を引けるだろうか?

 

もしも。

 

逆の立場だったら。

 

私は、その手を放さずにいられるだろうか………?

 

 

そして最初の質問に戻ります。

 

『あと1年の命だと知ったら、それでも婚活を続けますか?』

 

誤解されたくないのは、私どもはあくまで『結婚』したいのであって『婚活』がしたいのではない。

 

『あと1年しかないけど結婚しますか?』

 

なら分かる。

 

『結婚を考える』ということは『これから一緒に生きていく』ということを考えるということだ。
『生きていく』ことが前提であって、そこに『死』はない。*1

 

『婚活』を恥ずかしいことのように言う人がいる。
『婚活』は養ってくれる人を探すことでも、家事をやってくれる人、子供を産んでくれる人を探すことでもない。
これから『生きていくこと』を考えるということだ。
『婚活』を笑い、馬鹿にする人は、自分の人生を真摯に考えたことがあるのだろうか?
『婚活』と言うことが恥ずかしいなら、『生きることを考えている』と言いかえてしまえばいい。

人が自分の人生を考えることの何がおかしいというのだろう?

 

おそらくこの質問はこんなに長々と反論するようなもではなく、『言葉の綾』レベルのちょっと変な質問だったと思います。

もしかしたら、ライターさん自身は婚活をしたことのない人なのかもしれない。

ただ、受け取り手のコンディションによってはここまで尾を引くこともある。

以後、肝に銘じて綴っていきたいと思う所存であります。

 

とりあえず、もうヘンなツイートはしないので、皆さまフォローよろしくお願いします。

 

*1:もちろん、病気や死という事情を抱えたカップルだっているだろう。
彼らは各々で、傷ついたり苦しんだりしながら、乗り越えたり納得するという各々の決着を迎えるはずだ。
部外者が軽々しく口を挟むことではない。